2012年4月30日月曜日

植生景観史


 植生景観史入門―百五十年前の植生景観の再現とその後の移り変わり

卒論の指導教員であった原田先生の新著。先日の退職パーティーのときに頂いた。

植生景観史入門、という題目。一見しただけでは分かりづらいかも知れないが、サブタイトルに「百五十年前の植生景観の再現とその後の移り変わり」とあるように、過去の植生を復元することを目指している。

過去の植生を復元する方法として有名なのが、土壌に埋まっている花粉を分析する方法。化石の代わりに花粉を調べるイメージで、化石に比べて花粉は広く分散するので、より精度が高く過去の植生を復元することができる。

しかし、人の活動が大きくなったここ1000年ぐらいの植生を花粉分析で解析しようとすると、土地改変の人為インパクトが大き過ぎて、この方法を適用するのは難しいのだとか。この本で目指しているのは、明治時代以降の150年という、超人為インパクトの大きな時代。そこで、採用された方法は、写真や迅速図などと呼ばれる文献に基づき復元する方法であった。

神社などの敷地内には、しばしば鬱蒼とした照葉樹林が茂っている。植物の教科書などには、このような環境は人為的な影響を受けにくいため、日本(温帯)の原生的環境である照葉樹林が形成される、などと書いてある。そして、私もそう思っていた。

しかし、原田先生は一枚の写真を見て、あることに気づいた。明治時代に撮影された鎌倉の鶴岡八幡宮の写真、裏山には、松林が見えるのである。現在では、その裏山は鬱蒼とした照葉樹林が形成されているのである。そして、このような例が、鎌倉の大仏のある高徳院清浄泉寺など、様々な場所で生じていることが分かってきた。

この事実は何を意味するのか。横浜のような温帯域では、何からの撹乱を加えなければ、普通は、照葉樹林が形成される。逆に言えば、松林や落葉樹が形成されるには、何らかの撹乱を加え続ける必要がある。何らかの撹乱とは、燃料として、材を切り出していたのだろうと容易に想像される。

つまり、明治時代、人は自然を利用し、自然を特殊な景観に変化させ生活していた。一方、近年では、人は自然を放棄し、自然を原生的な景観に変化させてきたのである、、、現在の方が原生的な自然環境なのか?何だか不思議な感覚だ。

この本が教えてくれるのは、そもそも日本のあるべき自然の姿とは、どのようなものなのかという疑問である。つまり、人為的な撹乱を完全に除いた環境が自然なのか、という疑問である。この問題は、自然保護と呼ばれる活動で保護・目指すべき姿を示す上でも大事である。

この本には、社寺林の考え方や、自然を文献や写真から復元するアプローチなど、一般的な科学書では学べない内容が書かれている。この本でとられた手法は、どのような地域(都会ほど面白い)でも出来そうなので、環境教育などで利用すると良いかも。