2011年3月21日月曜日

ふるさと

厄介書類が、、、。もう焼け糞。キット、学生レポートって、こんな感じで最終的にはどうなっても良いって感じで提出するんだろうな。ん〜、読む人のことを考えると、もう少し頑張ってみるか。

とは言え、いつものことながら、すぐに飽きてしまう。

ということで、震災後、久しぶりに実家に連絡をしてみる。怪我などが無いことは既に確認していたので、その点は安心。

私は、生まれは茨城県の日立市で、育ったのが茨城県の神栖市というところ(私がいた頃は町だったけど)。大学に進学してからは、数えるほどしか帰っていないが、偶然、今月の4〜6日に帰省していた。一週間ずれていたら地震に直撃したいた。




テレビでは、岩手と宮城、あと、福島の原発しか報道されていないが、実は、こっちの方もかなりの被害を受けているので書いておく。

実家は大きな破損はなかったようだが、道路は地割れがヒドいみたい。全体的に家が歪んで見えるので、変な気分になるって、、、。このブログで少し見ることができる。ちなみに、香取市佐原という名前が出てくるが、ここにある高校に通っていた。

地震後、3日ほど停電になったが現在では復旧したそうだ。ただ、浄水場が壊れたようで、水道は復旧のメドがついていないとのこと。給水車で配給されているようだ。やはり、ガソリンは不足しているみたいで、長蛇の列とか。「ガソリン待ち行列者向け食べ物販売業」が成り立っているとか。

小学校は震災後から休講で、そのまま、今月末まで休みとのこと。

停電でテレビが使えなくなり、情報が得られなくなったのが不安だったようで。テレビとかネットの励ましの言葉とかは、現地の人にはあまり通じないのかも。

鹿島臨海工業地帯の町なので、海岸には埋め立て地が多く、当然、工場も多い。地盤沈下もあったりと、会社関係の復旧はこれからといった感じらしい。

そして、予想以上に深刻で驚いたのが、姉が千葉県旭市というとこに住んでいるのだが、全く報道されていないが、市のHPを見たら、地震と津波で300件以上の住宅が全壊だとか。姉の家もかなり沈んだそうだ(周辺が浮いた?)。

命の保証ができたら、次は、復興に向かうことになるけど。現実的なお金の問題をどうやってフォローするか、これが大きな問題になるか。保険の払い戻しは1兆円を超えるとか。困難な状況につけ込む詐欺がいるので、お年寄りなどが一人で判断しないように、地域で監視する必要があるだろう。

緊急を要する物資はそこそこ集まっていると聞く。これからは地道で気の長いフォローが大事になっていくと思う。震災直後、福岡の献血センターは数時間待ちだったそうだけど、血小板は採血後、4日間しかもたないので、(もし不足しているならば)気長に献血することが大事になる。

復興しているうちに経済が止まっても良いことはないので、被害の無い地域では、電気とか物資とかで迷惑をかけないように、普通の生活を送るのも大事になってくる時期かと思う。九州は12日に新幹線が開通して、観光業が盛り上がることを期待してたけど、むしろ、落ち込んでいるそうだ。完全に忘れられているけど、狂牛病口蹄疫や鳥インフルエンザで、九州の農家は大きな損害を受けたことも忘れてはいけない。